(演奏会プログラム・ノートより)

天国のアントン・ブルックナー先生に交響曲第7番ホ長調についてお話を伺いました。

 あれは私が58歳の18831月のことだった。恐ろしいことに、敬愛するワーグナー先生の死の予感が頭をよぎった。その重苦しさの中で、嬰ハ短調の旋律が作曲中の交響曲7番の第2楽章の主題として浮かんできた。

 そして運命の2月14日の朝、ウイーンの音楽院に出勤していた私にベネチアから前日の訃報が…。ああ、なんということだ! 私は、この悲報にあふれる涙が止まらなかった。そして、この悲しみを「故人となった熱愛する不滅の楽匠の思い出のために」第2楽章のコーダに昇華させた。葬送の音楽はワーグナー・チューバで始まり、死を悼むホルンの絶叫、弦楽器が奏でる宇宙空間に孤独にさまようフルートの音、そして訪れる魂の安らかな眠り。

 ワーグナー先生にお会いしたのは、前年の7月が最期になってしまった。このときのパルシファルには感動した。光栄なことに先生は私の全交響曲の演奏を約束していただいた。

 ワーグナー先生の作った音楽と、私の曲がよく似ていると言われる。もちろん、先生の与えた影響は、言い尽くせないほど大きい。しかし、決して真似ではなかった。半音階和声法だって、実はワーグナー先生が使う前から、知ってはいたのだが、音楽理論を学んだゼヒター先生に禁じられていたので、なかなか使えなかったんだよ。ワーグナー先生の音楽は管弦楽法を教わっていたキツラー先生に紹介され、演奏会にもよく行ったし、一緒に研究もした。ワーグナー先生の音楽は、伝統的な音楽理論では、物足りなくなっていた私には、刺激に満ちていた。

 でも、ワーグナー先生から「ベートーベンの域に迫る人物を一人だけ知っている。それはブルックナーだ」とまで言っていただいた通り、私の音楽は、先生のような標題音楽ではなく、絶対音楽だった。先生は能弁家で、曲の中にも言葉が満ちあふれている。一方、私の曲にあるのは、祈り、大自然、天地、神、絶対者、宇宙といった言葉では言い尽くせないものだから。もっとも、このせいで、私の曲をお好きになれない方も多いかな。

 ところが、私以上に弟子達が、熱狂的なワーグナーファンでな。世の中に受け入れられるようにと私の曲をもっとワーグナー的にした方がいいと言ってくる。しかも、当時のウイーンと来たら、批評家連中は、とかく、ブラームス派だのワーグナー派だのとレッテルを貼ってワーグナー派を批判したがる。口べたな私は格好の餌食になってしまった。

 7番の作曲を終えると、弟子のシャルクは、ライプツィヒで市立劇場の指揮者をしていたニキシュとピアノ・スコアで連弾をして、ニキシュに初演を即決させてくれた。ニキシュも初演の前に批評家にピアノで聴かせたりと、いろいろ根回しをしてくれた。そして、1984年の1230日に、それもワーグナー先生の記念碑建造のための演奏会で初演にこぎつけた。結果は、賛否両論あったが、15分も喝采を続けてくれた聴衆もいた。翌年のミュンヘンの演奏会もさらに大成功で、作曲家としては、これが一番幸せなときだったかもしれないな。

 しかし、思えば、先に死んだ友人のドルンの亡霊が第1楽章の主題を教えてくれたのだし、尊敬するワグナー先生の死により第2楽章ができたし、ワグナー先生亡き後のワーグナー派の偶像としても、私が必要だったようだ。神様も、酷なことをされる。

 えっ?ハース版とノバーク版のどっちが私の真意に近いかって?今はおふたりとも、天国にいるのでな、それは皆さんが私たちのところに来るまでのお楽しみと言うことにしておこう。皆さんの時代では、改訂版とかハース版とかノバーク版とかいろいろ聴けて楽しめるし、何ともうらやましい話ではないか。

 ところで、最近の下界は、悩みが多くて元気がない人が多いようじゃのう。まあ、今晩の演奏が、新しい未来のための除夜の鐘だと思ってくだされ。


吉田 靖

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